生の交換、死の交換
鷲田清一
(大阪大学大学院文学研究科教授・臨床哲学;
同医学系研究科兼任教授・医の倫理学)
1
「身体髪膚之を父母に受く。敢へて毀傷せざるは孝の始めなり」ということばがある。これをかつて旧制高校の寮生たちは、「寝台白布之を父母に受く。敢へて起床せざるは孝の始めなり」と書き換え、その紙を枕元の壁に貼って、午前中の授業をサボタージュしたという話を聞いたことがある。冗談はさておいて、このことば、身体とはだれのものかという古くて新しい問題に、一つの忘れられかけている視点を思いださせてくれる。新しい問題といったのは、臓器移植の問題や、生前に遺体処理にかんする意志表明をしていなかった死体の処理決定権がだれにあるかという問題をめぐって、いま身体の所有権の帰属先がしばしば問われるようになっているからである。
さて、忘れられかけているその視点であるが、それはじつは西欧近代の所有権論をある意味で貫通している一つの観方に異議をとなえるものであるともいえる。つまり、所有〔権〕(propriété , property)という観念は、自由処分権(=随意性、disponibilité , disposability)という観念と等置できるという視点である。わかりやすく言うならば、「これはわたしのものである」、だから「わたしはそれを意のままにしてよい」(必要なら他人に譲渡してもよい)という考え方である。
西欧の近代という時代において、所有権の明示というのは、市民の個人的自由の根幹にかかわる格別に重要な問題であった。各人が身を削って産みだしたもの、つまり生産物は、それを生産した者に本来帰属するものであって、他人がそれを本人の意志を無視して自由に処分できるものではない。それはあるものの生産を目的として労働する者が、その身――それはかれのプロパティ、つまりかれだけが所有の権利をもっているものである――をついやして産みだしたものであり、したがってかれのプロパティに属する。他のだれもそれにみだりに触れたい、それを勝手に処分する権利をもたないということである。
さてこの考えかたを正当化する議論の典型とされるのは、いわゆる《労働所有論》とよばれる議論である。ジョン・ロックの名とともに思想史に記入されているこの議論、ある物を所有する権利をそれを産みだした者に帰属させるその根拠を、その生産という労働が労働する者のプロパティである点にもとめる。そしてその労働〔力〕がかれのプロパティである根拠を、労働がその一つの発現形態であるところのかれの身体がかれのプロパティである点にもとめる。ひとはみずからの身体にかんしては、疑いもなく、みずからの所有権=自由処分権を主張できるという視点である。
ここでは身体の自己所有権(self-ownership)が、所有権の最終的な根拠として呈示されている。が、そのことがほんとうは問題なのだとおもう。わたしの身体はわたしのものか? わたしのものとされるこの身体は、はたしてこのわたしが意のままに取り扱ってよいものか? たとえば、思いのままにそのシルエットをデザインしたり、装飾するためにその表面に「傷」をつけたり、その一部を他人に譲渡したり、みずからその生命を終わらせたり……。
ひとが「もつ」ことのできるもの、あるいは「所有」することのできるもの、それはガブリエル・マルセルも言っていたように、そのひとにとって何らかの意味で〈外〉にあるものであり、そのひとの外部にあって独立した存在をもっているものである、ととりあえず言えるようにおもえる。しかしその〈外〉ということが、じつは問題なのである。身体の〈外〉という意味なら、(身体の内/外の境界が、ふつうそう考えられているように、皮膚であるとすると)皮膚の外側ということであろう。そのとき、「わたし」にとっての外側が皮膚の外側であるとすると、「わたし」は皮膚の内側、つまりこの身体であると考えられていることになる。「わたしは身体である」というわけだ。これはとりもなおさず「わたしは身体をもつ」の� ��はないということである。
しかし、「わたしは身体である」ということには、抵抗がつきまとう。わたしの肢体からその部分を順番に外していったとき、たとえば脚を外す、腕を外す、下半身を外す、首から下をぜんぶ外すとするなら、どこでわたしはわたしでなくなるか? そのようなグロテスクな思考実験をするまでもなく、身体の変化は「わたし」を変えてしまうことはあるにしても、それがただちに「わたし」の変化として現象するわけではないのはたしかだ。たとえば事故で腕を失ったところで、それによって行動に制約は生じるものの、だからといってわたしが別人になるわけではあるまい。あるいはヘーゲルがあげていた例では、拷問を受けたとき、ひとは凌辱されているその身体をじぶんの所有物とみなすことで、かろうじてその責め苦に耐えることができる。凌辱されるその身体を「わたし」ではなく「わたしの身体」とみなすことで、つまりその身体の所有者としてじぶんを了解しつつ、「欲しければくれてやる」というふうに所有権を放棄し、拷問者に譲渡してやったとおもうことで、ひと� ��ぎりぎりのところで、かろうじて最後の主体性を護ることができるからである。
ところが、「わたしは身体をもつ」ということにも問題がないわけではない。というのも、「わたし」はその身体(という所有物)の外部に立てないないからである。身体なしに「わたし」は存在しえないという意味でももちろんあるが、それ以上に、身体ではない「わたし」にとって内/外ということは比喩的な意味でしか語りえないからである。内/外はそれ自体が空間的な存在についてしかいえない。所有が「わたし」とその外部に存在するものとの関係であるとしたら、すくなくとも「わたし」と身体とのあいだには所有の関係はなりたちにくいようにおもわれる。
のちにも言及することになるであろうが、マルセルが「身体とは〈存在〉と〈所有〉の境界ゾーンである」と述べたのも、おそらくはそうした身体の両義的なありかたをさしてのことであろう。
2
さて、身体はだれのものであるかということ、つまりは身体の人称性が問題になるのは、このような「わたし」の存在との関係においてだけではない。もう一つ、身体の時間的な存立という場面においても、それは問題になる。つまり、生が生でなくなる時間的な境界、つまりは死という、「わたし」の存在の際においてである。
「わたし」のいのちは死によって絶たれる。その意味で、「わたし」の存在は死によって限られている。そしてその死を、わたしたちはふつう、身体の機能停止の瞬間というものと対応づけて考えている。「わたし」の死とともにわたしの身体は死体になる。が、この死体を、「だれ」という人称性を解除された純然たる物質的身体(=屍体)とみなすかどうかは、けっして自明のことではない。事実、さまざまの文化がさまざまの死体観を編みだしてきた。
「だれ」としての「わたし」の存在が身体のなかの「脳」という部位に還元されて考えられているとき、そしてその機能停止をそのまま「わたし」の死であるとみなすそういう思考のなかでは、身体は人称的にニュートラルな空間として経験されていると考えることができる。
こうした人称的に無記の空間というものは、「死という鏡のなかで生命が眺められる」ようになった結果としてあるということを指摘したのは、「医学的なまなざしの考古学」という副題をもつ書物『臨床医学の誕生』のミシェル・フーコーである。
「二〇年ものあいだ、朝から晩まで患者の病床で、心臓病や肺病や胃病についてメモをとったとしても、それらの症状は何ものにも結びつけられないから、支離滅裂な現象の連続を示すにすぎず、諸君にとって、すべては混乱でしかないであろう。いくつかの屍体を開け。そうすれば、単なる観察では退散しえなかった暗闇が、たちまちのうちに、霧散するのが見られるであろう」という、十八世紀の解剖学者M・F・K・ピシャの言葉に添えて、フーコーは「生ける闇は死の明るみにおいて消え去ってしまうである」と書きつけている*1。いいかえると、病――それはいうまでもなく、生の過程のなかにある――という事態が屍体の秩序のほうから照射されることになる。屍体解剖によって確認される病理解剖学の視線に身体が射ぬか� �るとき、病の「持続する時間」が、解剖屍体の「静止した空間」に統合されることになるわけである。このように死のまなざしのなかにみずからの生を引き入れる文化について、フーコーはさらにつぎのように述べる*2。
われわれの文化において、個人について行なわれた初めての科学的ディスクールは 、この死という契機を通過しなくてはならなかった。このことは、われわれの文化に とって、決定的な意味をもちつづけるにちがいない。というのは、西欧人は、自己の 死に対する解剖ということにおいてのみ、自己自身を科学の対象として眼前に据え、 自己の言語の内部において自己をとらえ、その言語において、また言語によって、自 己に陳述的な存在をあたえることができたからである。「非理性」の経験から、あら ゆる心理学と、心理学の可能性そのものが生まれた。医学的思考のなかに死を統合す ることから、個人の科学と自称する医学が生まれた。さらに一般的にいえば、現代文 化における個性の経験は、死の経験に結びついている。(266)
ところで、臓器移植と脳死判定の問題をめぐって大きく揺さぶられることになった〈死〉という概念、それが現在、身体の人称性――「だれ」としての身体の存在――をも大きく揺さぶりつつある。脳死体とは、テクノロジカルに「発明」された生と死の境界領域である。生でも死でもない両義的な、ということは曖昧な領域である。そういう生と死の無記名な空間として、身体がテクノロジカルの視線のなかで「発明」されたのである。輸血、人工臓器、臓器移植、受精卵移植、胎児診断、CTスキャンによる検査、そして遺伝子組み換え操作などといった医療技術の装置のなかに、いよいよ深く身体が挿入されてきたのである。
これは、死が生の鏡であるだけでなく、生そのものが死のモザイクのようになってきたということ、つまり死と生の境界が画然としたものではなくなることにより、個人の存在を限るその輪郭のほうも根拠を失って、しだいに曖昧になっていったということを意味する。いいかえると、生の意味、個体としての同一性をめぐる本質規定そのものが問題化するような次元に身体が組み込まれ、個人の生を死との境界のほうから限るそういう視線が無効になってきたという事実を意味する。
3
原因とひとり親家庭への影響は何ですか?
医療技術の開発とともに「発明」されることになった生と死のどちらでもないような中間領域、いわゆる脳死とともに、「ひと」の死という出来事が起こると考えたらいいのかどうか? (鼓動が止まった、呼吸が止まった、冷たくなった、動かなくなったというかたちで知覚可能な)〈わたし〉の死と、それへと対応づけられるべき(一定の理論的な枠組みを前提として、計測にもとづく「観察」が可能となる)身体の状態のあいだの関係をめぐる問題が、ここで、もちろん核にはある。が、それ以前に、わたしたちは「わたしの身体」をじぶんのものとしてはすでに失っている。
「わたしの身体」という言いかたをいまとりあえず素朴に認めておくとしても、それはしかし、身体をわたしが知覚的に所有しているということではない。改めて考えてみるまでもなく、身体の内部(胃や脳)であれ、はたまた身体の表面(顔や背中)であれ、わたしたちにそれを直接に経験する手だてはない。〈わたし〉とその身体のあいだはつねに特定の観念(idea)ないしは〈像〉(image)によって媒介されねばならないのであって、その意味で、所有されるのはむしろ「解釈された身体」であり、〈像〉としての身体であると言わねばならない。そしてその解釈をおこなうのがこのわたしであるにしても、その解釈の様式は、ある社会のなかで〈制度〉としていつもすでに共同的に設定されてあるものであるから、〈わたし〉� �わたしの身体の疑似所有者でしかないわけである。
この疑似所有のしかたそのものが、その解釈のなかにテクノロジーの体系をすでに包容している。〈わたし〉とその身体の関係がそういう装置と制度を経由するということであって、医療機関における健康診断や診察が具体的にはそれにあたる。そこでひとは、一定の検査のあと、医師から診察の結果が告げられる。じぶんの身体の状態がどういうカテゴリーに入るのか、その判定に最大の関心を寄せ、その結果に一喜一憂する。このように身体と病についての現代の「知」は、ちょうど公教育が学校制度によって独占されているのと同じように、医療制度によって独占されている。そのなかでひとは、じぶん自身のものではないある不可視の視線によって照明され、分析される身体としてしか、病んだじぶんの存在を意識できなくなっ� ��いる。身体の内部はもはや「内なる外部」ですらなく、純粋な外部へと転換したかのようである。病だけではない。健康を計る規準もまた外部にある。たとえば「正常値」というスケール。ひとはいまこのスケールを通してしかじぶんの体調を判定しなくなっている。
しかし、これは〈わたし〉の身体がその所有権を剥奪されているということなのだろうか。それとも、「わたしの身体」という観念そのものがすでに〈わたし〉とわたしの身体とのあらかじめ失われた関係を代行する一つの制度にすぎないということなのだろうか。 身体は一方では「わたしのもの」であるというよりはもっと〈わたし〉に密着させられているし、他方で「わたしのもの」であるとは言いがたいほどに〈わたし〉から遠ざけられている、といえる。「わたしの身体」はいま、いわば一種の挟み打ちにあっていて、そのためにつねに両面作戦を展開しなければならないかのようなのだ。ここで両面作戦とは、一方では、じぶんの身体に熱中せよという命令、つまり身体に対して個人にナルシスティックな所有権を行使させる身体政治――「美」と「快楽」のイデオロギーによる、あるいはモードとエステティックの装置による、個人の存在のプライヴェイトな身体への閉じ込め――への抵抗であり、他方では、そういう過程で不可能になった身体間交通を超個人的なシステムが代行するよう� ��身体政治――たとえば健康管理や臓器移植、公娼制度などにみられるような身体の公有化――への抵抗である。じぶんの身体への回路、それがすでに匿名の強制力に拉致されているということ、つねに何かを迂回せざるをえないということ、これはしかし、いわゆる《疎外》、つまり固有性の喪失ということではない。それはむしろ関係の喪失なのである。単体としての幻想的な身体のなかに密封されることによって、同時に他の身体への通路をも失ってしまうのだ。
しかし身体はほんとうは〈間身体的〉な関係としてしか存在しないのではないか。自己自身との直接的で内在的な関係というものは、「わたしの身体」においてははじめから不可能な関係でしかなかったのではないか。そのことが、以下では、生をめぐって、そして死をめぐって問われねばならないだろう。
ここで問題なのはおそらく、医療技術の過剰な戯れを抑止すること、その限界を「倫理的」に設定することではない。内田隆三がするどく指摘するように*3、「一つの技術が過剰な戯れであるか、人間の形象に適合する操作であるかを判断する基準は相対的であり、人間についての支配的な言説の秩序に依存する」のであって、しかも医療技術はいま人間のありかたそのものの意味づけを変えようとしているのだから――たとえば遺伝子組み換えやさまざまの生殖技術といった、個体としての、種としての同一性そのものの根幹にかかわるような技術が問題になっている――、「人間的でない」という反論は反論になりえないのである。
4
ここでどうしても考えのなかに入れておく必要があるのは、個体としての身体的存在、個人としての人格的存在というものが、他者との関係のなかで表象されなくなっているということだ。そのように、他者の不在において構築された探究の制度と装置のなかで、個人の身体が再生産されるようになっているということだ。
一九七八年、英国で「ルイーズ・ブラウン」が生まれた。人類史上はじめての試験管ベビーの誕生である。一九八四年に、こんどはオーストラリアで「ゾエ」が生まれる。凍結胚から誕生した最初の赤んぼうである。一九八五年、ひとりのフランス人女性が亡き夫の凍結精子による人工受精を試みるが、流産する。一九八六年、オーストラリアで双子の《試験管ベビー》が誕生する。この子どもたちはしかも、同一の受精から十六ヵ月の期間をおいて生まれたのであった。一九八七年、南アフリカで四十八歳の女性が、遺伝学的にはじぶんの娘とその婿の子にあたる三つ子を産んだ。《祖母−代理妻》の出現である。三つ子がその母親の子どもであると同時に母親の兄弟でもあり、代理母の息子であると同時に孫でもある……まさに現代� ��イオカステである。
脳死体が「血清生産工場」として半永久的に生かされることがありうるように、〈わたし〉は人体の外部にある「人間生産工場」で生まれることもありうる。それはつまり、出生がかならずしも他者との交感のなかで発生しなくなったということだ。みずからの起源を他者との関係のなかに位置づけえなくなった〈わたし〉はもはや、「独自な」存在ではありえない。右のデータをわたしは、モネット・ヴァカンの著書『メアリ・シェリーとフランケンシュタイン』*4から得ているのだが、その彼女は、受精卵の凍結と番号づけからはじまったこのような事態を、「同類」という存在水準の「同一」という存在水準への還元としてとらえている。世界の制作は自己の制作にほかならず、したがってそれは歴史の制作でもあるという、人間� �「自己生成の幻影」は、このように《存在の制作》(Ontopoietik)にまでいたりつく。それは、人間が自己自身を造るという幻影の、いいかえると超越の支えを拒否する人間のみずからへの内属化の、ひとつの必然的帰結であると言ってもいいだろう。
ところで、ヴァカンはこの問題を、その著作の表題が示しているように、メアリ・シェリーが十九歳のときに着想したといわれる『フランケンシュタイン』に結びつけている(それが作者不明の小説として世に問われることになるのは、二年後である)。生命の製造ということについて言えば、受精が、胎内生殖によってではなく人体の外部で人工的におこなわれる可能性が、シェリーがこの小説を書いたおよそ百六十年後にこの地上で、《試験管ベビー》として実現したわけである。そして凍結胚や凍結精子を用いた受精が続き、誕生の時間的操作もおこなわれたのだった。
受精も生育も体外でなされ、工場で計画経済的プランにしたがって「人間の生産」がおこなわれる未来社会を、一九三二年の時点ですでに描きだしていたのは、同じ英国人オルダス・ハックスリーの空想小説『すばらしい新世界』であるが、その図はすでに、脳死体が血清の実験台や培養装置として半永久的に生かされるような事態として、可能性としてはすぐそこにある。
くりかえすと、ここで重要なことは、出生がかならずしも他者との関係(愛という名の交感?)のなかで起こらなくなるということだ。ハックスリーは、だから、そういう社会ではもはや親子も夫婦も家族も成立しないだろうと書いていた。みずからの起源を他者との関係のなかに位置づけえなくなった〈わたし〉は、もはや「独自な」存在ではありえなくなるのである。シェリーの小説のなかでも、名前を与えられることのなかったあの人造人間は、だから伴侶を作ってくれるよう、博士に求めたのだった。
さてシェリーの小説は何度も映画化されているが、そのもっとも新しいヴァージョンはコッポラ監督の『フランケンシュタイン』(一九九二年)である。この映画では、フランケンシュタイン博士が製作した人造人間Fをさして、「モンスター」ではなく「クリーチャー」という言葉が使われている。「クリーチャー」は、現在ではSFX映画などで特殊メイクした怪物を意味するが、もともとはクリエイトされたもの、つまり被造物のことであり、英語では「神によって造られたもの」として人間をはじめ生き物一般を意味する。この言葉を用いることでコッポラは、Fも人間であるということ以上に、もともと被造物である人間は被造物でなくなろうと欲望する(つまり、創造者になろうとする)まさにその点でクリーチャー( 怪物)なのだ、ということを言おうとしたのだろう。ちなみに「傲慢」は、古代以来、人類がもっとも陥りやすい悪徳として戒めてきたものの一つである。ちなみにこの映画、日本公開に際しては、「愛もなく、なぜ造った」というコピーがつけられていた。
かつてパスカルは、紙片に、「わたしは、習慣が第二の自然であるように、この自然それ自身も、第一の習慣であるにすぎないのではないかということを大いに恐れる」(ブランシュヴィク版・断章九三)*5と書きつけたが、この言葉がいま、まったく別のコンテクストで重い意味をもちはじめたのである。
5
ティーンエイジャーが誰である
個人の存在が他者との交感なしに「愛もなく」製作される可能性が現実のもとのなりはじめているとすれば、同じように、個人の存在が他者との交感なしに終焉するという事態もある。これはすでに深く進行中の事態である。
わたしたちのまわりには家(うち)で死ぬひとはめったにいない。路上で死ぬばあいもあろうが、ほとんどのばあい、わたしたちは病院で死ぬ。老衰のように、いわば消え入るように死ぬというシーンもほとんどなくなって、死期が近づけばなんらかの人為的な処置が施される。このことは誕生のシーンともほぼ対応している。赤んぼうを家で産婆さんに取り上げてもらうということも、すっかりめずらしくなった。家で母親のうめき声を聴くことも、赤んぼうの噴きだすような泣き声を聴くことも、ほんとうに少なくなった。出産も、病気の治療と同様、医療機関でなされるようになった。赤んぼうの誕生も老人の死も、病人の世話も、わたしたちの家庭生活の外部へと運び去られたのである。
このようにひとの誕生、死、そして病のプロセスは、わたしたちの視野からすっかり遠ざけられてしまった。それらは、生活をともにする人びとが、あるいは隣人が、相互におこなう営み(たとえば相互治療、出産や看取りにおける共同作業)ではなくなった。それだけではない。調理と排泄の過程、ものが出入りするという身体のもっとも基礎的な過程、その先端と末端とが、調理工場や下水をはじめとする都市のシステムに組み込まれ、これもまたわたしたちの視野から遠ざけられている。生命過程そのものをになっている物質が、たとえば血が、糞尿が、さらにはなによりも生命の消失という出来事そのものが、見えなくされてゆく。
調理や排泄物の処理といった営みはしかし、人間がじぶんが「生き物」であるということをいやでも思い知らされる数少ない機会である。いのちあるものを殺したり、切り刻んだり、煮たり、焼いたりして調理するのが台所仕事である。それは、わたしたちがいかに自然と(みずからの生理と、他の生き物たちの存在)と折りあいをつけつつ生きてゆくかが問われる現場である。台所とは、ひとが自然を離れては絶対に生きてゆけないことをいやというほど思い知らされる場所なのである。同じように排泄も、ひとの身体がたえず物が出入りする物であることを痛切に思い知らされる機会である。くりかえしくりかえし糞便を排出しつづけないと、すぐに生存が危うくなることは、わたしたちがこれまで否応もなく経験してきたことがら� ��ある。これらの過程もまた、日常的な知覚空間の外部へと押し出されてきた。
その過程が外部化すれば、わたしたちの現実性の係数もまた、あきらかに深い変容をこうむらざるをえないだろう。いのちがどくどくと脈打つその感触、じぶんが生きるためには他の生命をくりかえし破壊しなければならないという事実、そのとき他の生命が渾身の力をふりしぼって抗うさま、人間の存在がまぎれもない物質そのものであり、生まれもすれば壊れもするものだということ……こういう事実の体験が削除されたとき、世界は大きくその表情を変えるにちがいない。
こうして、生存のベーシックな営みは身体空間から――個体としての身体空間であるとともに、家族という情愛の空間でもあるような身体空間から――つぎつぎと取り外されてゆく。生存のベーシック、いやもっと即物的に人間の生理に応える過程が、わたしたちの視野から隠されてゆく。とりわけ、わたしたちの死。それはわたしたちの社会のなかではすでに、見えない空間へと遠く運び去られている。ひとは病めば病院へ送られ、亡くなればその屍体は、まるで廃棄物のように見えない場所で処理される。これは、屍体処理のその場所が隠されているとこともあるが、それ以上に、死が不可視の出来事ないしは現象になりつつあるという、先に確認した生体に向けられた解剖学的視線の必然的な帰結でもある。生きた身体過程は、モ� ��の領域へと、つまりは非生命(=死)の側へと組み込まれ、そこに積分されている。こうして死のみならず、生そのものが、記号情報とテクノロジーとが(なんの限界も設定できないままに)戯れる空間へと変容してきた。〈生〉が、さまざまの象徴的な意味を解除されて、工業製品と同じレヴェルで、インダストリアル・デザインの対象となってきたのである。それはもはや、身体の人称的存在、つまりは生きた身体としての〈わたし〉の存在を限るもの、画定するものではない。
6
生命の製造、存在の制作という考えの根には、ひとはじぶん自身を造ることができるという幻影が、つまりはじぶんの存在についてはじぶんの意のままにできるし、またしてよいのだという考えがひそんでいるのだった。わたしはわたしのものであり、だからじぶんの存在を思いどおりにしてよいのだ、それは個人の自由裁量に属するのだ、という考えである。こういった視点からなされる生命の製造、あるいは臓器移植、遺伝子組み換え操作などは、いったい何を制作し、何を交換しようとしているのか。たとえばもし、臓器移植を文字どおり肉体の部分的な交換であるとするならば、それは、つねにおぞましき行為として非難の的となってきたあのカニバリズムとどの点がちがうのだろうか。象徴的行為としての古代的カニバリズ� ��と、絶対的な飢餓状態のなかでなされる他者の人肉喰いと、現代の闇の臓器売買とはどの点がちがうのか。他人の身体を自己の身体へと同化するという意味では、カニバリズムとしての共通の形態がそこに見いだせそうにおもえるのだが。あるいは、飢えて死にかけている息子にたいして「おい、俺を食え、そして生き延びろ」と親が言う場面や、あるいはアイバンクなど自発的な臓器提供の意志表明ならばどうだろう。これらのいずれをとっても、他人を食べることのほうが、フランケンシュタイン博士のように「愛もなく」他人を製造することよりむしろ愛情が深いとは言えないか。
フランスの思想家、ジャン・ボードリヤールが興味深い発現をしている*6。
われわれ〔西欧人〕は、自分が食うものを軽蔑し、軽蔑するものしか食うことがで きない。すなわち死んだものとか、動物であれ植物であれ生物学的同化に適した生命 のないものだけを食う。このように、われわれは、われわれが食うもの、食う行為、 そして最後にはわれわれ自身の肉体にたいする軽蔑という視野のなかで、人食を軽蔑 すべきものと考える。
(『象徴交換と死』、二九〇頁)
軽蔑しながらしか食べられないというのは、不幸なことである。そういう感情からするならば、じぶんも食べうる存在であると認めるのは世界におけるみずからの特権性を否定することであり、つまりは自己否定につながることである。いいかえるとそれは、「共食い」というおぞましい行為につながる。そこでその食べうるということを、物質体(body, corps)としての身体に限ることで、逆に精神として自己を救済することができる。これがおそらく心身二元論の図ったことである。
軽蔑しながら食べるということの延長に復讐としてのカニバリズムが想定できるとすれば、それとは別の線分が、治療としてのカニバリズム、贖罪としてのカニバリズム、さらには、憧れとしての、敬愛としての、追悼としてのカニバリズムなどといった線分が、あるいは想定できるかもしれない。現に、カニバリズムのこういう解釈もある。
多くの原始社会では、諸個人あるいは諸種族にとって、病気であるとはすなわち死 の脅迫のことであり、餌食を、道連れを求める死者の魂に侵されることに他ならなか った。療病するとは、ならば、死者の魂と闘い、それを遠ざけるということになる。 そしてそのために最初に編みだされたものが、死者の魂の器を食べること、つまり、 死者の屍を生者の身体の中に閉じ込めることによって、その魂を引き離し、もどれな いように遠ざけるといった巧妙な策略である。治療のためのカニバリスム、それは原 初的で持続的な秩序、しかし、不気味で脆弱な秩序である。というのも、それには捕 食、人間狩り、略奪が伴うからだ。それは、諸個人にとって自分自身と彼の永遠性の 所有を否定する。生きるために食べる、それは食べるために殺すことにつながる。持 続するにはあまりに危険であるが故に、カニバリスムは姿を隠す。だが、消え去って しまうにはあまりに不可欠であるが故に、それは舞台に上る。この秩序は見せ物、つ まり《悪》の厄除け儀礼となる*7。
(ジャック・アタリ『カニバリスムの秩序』金塚貞文訳)
この《悪》の変形を、アタリは人類史のなかに、宗教権力、警察権力、医学、遺伝学の交替というかたちで読む。そのとき治療者は、「慰安者としての聖職者」「選別者としての警官」「修理屋としての医師」「代替物としての人工身体」という姿をとる。
アタリは秩序とカニバリズムの関係について、右の引用文の少しあとでつぎのように書いている。「健康について語ること、それはもっとも高度な意味において政治を語ることである。それはまた、敵を名指し、それぞれに対してそれにふさわしい破壊の形式を与えることによって、秩序を支えるという、すべての治療者が行使する方策を理解することでもある。《悪》と闘うこと、それつねに病いを食べることであり、《秩序》とは、つねにカニバリスムなのである」*8、と。
7
カニバリズムについて濃やかに語る資格はわたしにはない。ここで「秩序」の形成と解されているカニバリズムを、〈アプロプリアシオン〉 (apropriation=わがものとすること)という欲望としてとらえなおしてみたい。プロープルな(propre=じぶんに固有な)ものとすること、それは、「所有」することであり、自己をみずからに「固有」なものだけに限ることであり、そして他者や異物を汚物として排除することで身を「清く」たもつことである。この所有、固有、清潔という三つの契機はフランス語の「プロープル」の三重の意味に対応している(propriété , propreté )。ちなみにもし、カニバリズムが身体から魂を隔離するための手段であったのだとすると、埋葬儀礼というかたちでの屍体へのかかわりにもそういう隔離という意味があったと推測できる。
みずからの存在をじぶんのもの、自己に固有のもの(=所有物)で限るという欲望は、みずからの〈存在〉をわたし自身による〈所有〉態へと変換したいという欲望であるといえる。みずからの存在を主宰する者としての個人、自律的な主体としての個人の形成である。そしてそれはまず、ひとはおのれの身体を自己に固有のものとして所有しているのだという考えかたになって現われる。このアプロプリアシオンの欲望が所有主体である自己自身へと向けられたとき、それがあの「意のままにできる」という概念(disponibilité , disposability)と結びついて、じぶん自身をも意のままにできること、つまりは「自律」(autonomie)という意味での「自由」の概念が成立するのはいうまでもない。
自由な存在であることへの願いが、所有する自由、つまりは、物を、そしてじぶん自身を、意のままに処理しうる自由の希求にとって代わられることで、いったいなにが起こるのか。ひとはそこで、じぶんの存在がじぶんではどうにもならないという事実(不随意性)を、所有の「権利」によって清算しようとしてると指摘するのは、小林康夫の論文「ブリコラージュ的自由」(『現代思想』一九九四年四月号)だ。彼はそこでつぎのように書いている*9。
どのように男は女によって扱われたくない>
われわれは存在の絶対的な拘束性を逃れ、それを所有の自由によって補償しようと いう欲望をもっている。われわれは、場合によっては、所有によって出自を補い、国 籍を買い、自然が与えたものとは異なる性すら取得することもできる。存在はますま す、耐エガタイホド軽クなり、〈在る〉はますます〈持つ〉によって浸食されている 。
カントに代表される近代的な行為主体の思想は、自由な個人、すなわち、じぶんが何をなすべきかをみずから決定しうる「自律」的な主体を前提としていた。「自律」とは、他者からの強制にも、内部的な感情や衝動にも囚われることなく、自由に自己を統御できるという意味でもある。その前提となったのが、じぶんの存在はじぶんのものであるという思想なのであった。こうしてひとは、「所有」のまなざしをじぶんの存在にも向けるようになった。これを言いかえると、ひとはその存在を他者に負うという考えかたが入る余地がなくなったということでもある。ちなみに、独自の倫理学的な視点から所有理論に切り込んできた川本隆史は、「《所有》(own)と《債務を負う・恩恵を被る》(owe)、《当為》(ought)との間にあった語� �的なつながり」に着目しながら、「身体・能力の所有(own)が社会への責務関係 (owe)から切断されたところで、近代に特異な〈自己所有権〉の主張がかろうじて成り立っている」としている*10。
ほぼ同じ主張が、ジャン・ボードリヤールの『象徴交換と死』にも見いだせる。「われわれは、死を生物=人類学的法則の方へおし戻し、死に科学の特典を与え、死を個人的運命として自立化させることで、死を脱社会化してしまった」が、他方で「未開人は死が(肉体や自然的出来事と同じく)ひとつの社会関係であり、死の定義が社会的であることを知っている」というのである*11。
さてこの債務=責務関係が、他者とのあいだではなく、死者とのあいだで成立しなくなったとき、死者がその人称性を失って屍体とされるというのが、先にも引いた内田隆三である。かれによれば、死者との関係というのは、じつは、もはや「だれ」でもない物質としての屍体との関係ではない。「死者とは象徴的な基盤をもった存在であったはずである。それは生者でもなく、また、モノとしての屍体でもない。それは生者/屍者という単純な二分法では分類できない両義的な存在である。死者はそれらの象徴的な中間項であり、しかも人称性をもった存在なのである」*12。人類は死体に対して「一種独特な配慮」を示してきたのであって、「身体を単なるモノとしての屍体に等置し、遺棄するのではなくて、その死んだ身体に対して� ��死者〉という人称的なカテゴリーを適用し、埋葬という儀礼的な行為の対象と」してきた。つまりそこでは、現在わたしたちが疑うことを忘れている生体/死体、つまり効用/廃物の二分法ではなく、生者/死者/屍体という三分法が採用されていたというのである。いいかえれば死によってこそ「死者」が誕生するのであって、たとえば日本人のばあい、戦争や飛行機事故の遺族に遺体や遺骨を求める強烈な感情が見いだされるのは、日本人が遺体のどのような断片にも〈死者〉の人称性を認めるからである。いいかえると、遺体の断片をつうじて〈死者〉の人称的な存在を奪回しようとするからである。内田はおなじ心性を、かつて遊女にみられた、〈愛〉のあかしとしての切指や断髪、放爪などの慣習にも見いだしている*13。
8
このように考えてくると、わたしたちは臓器交換でさえ、単純に身体を構成する部分、つまりはメカニカル・ボディの「部品」の交換として表象することに、ためらいを覚えないでいられるだろうか。
川端康成の小説『片腕』は、ある女性がある男に片腕を一晩だけ貸してやる話である。女は右腕を方から外し、男の膝の上に置く。その夜、アパートに女の腕を持ち帰った男は、飽くこともなくそれを撫で、それと語らうのだが、その腕をじぶんのものとしたいという欲望に抗うことができないで、最後にじぶんの右腕を外して女の腕と付け替える。そのときかすかな叫び声が聞こえる。「「ああっ。」という小さい叫びは、娘の腕の声だったかわたしの声だったか……」*14。
ここでは身体の交換は、存在の交換となっている。幻想の物語であるとはいえ、わたしたちの想像力はあきらかにそういう交換のイメージに誘われる。そこでは四肢や臓器が交換されるというより、〈わたし〉が行き来するのだと言ってもよい。臓器移植を部品の交換と考えるか、それとも存在の交換と考えるかは、けっして解決済みの問題ではない。すくなくともここでは、身体をだれかの「所有物」(property)とする思想――所有物は交換が可能であるから、「脳死体」からの臓器摘出を是認する思想はここに遡源できる――が問題になっているからである。
さて、そういう身体の自己所有という考えかたにもっとも強く抵抗してきた思想家に、ガブリエル・マルセルがいる。西欧社会では伝統的に、「所有権」という考えが「なにかを意のままにしうる権利」と等置されてきたことはすでにのべたが、マルセルは身体についてそういう考えかたが失効すると主張する。「わたしの身体」というときのわたしと身体の関係は、所有するものと所有されるものという単純な関係にはないというのである。マルセルの所有論にはすでに別稿でふれたことがあるが、ここでの文脈でもどうしても外せない議論なので、以下で〈もつ〉ことをめぐるその主要な論点を、身体所有という問題にかかわるかぎりで整理しておきたい。
「所有」という視点から「身体」をとらえたとき、身体はまずつぎのような事象として浮かび上がってくる。「わたしが自分をそれと同一化するが、それでもなおわたしから逃れる最初の対象、あるいはそういう対象−類型、それがわたしの身体である。そしてこのわたしの身体において、われわれはもつということのもっとも密かな場処、もっとも深い場処に帰属するようにおもわれる 」ということである。身体という事象はその意味で、まさに〈ある〉と〈もつ〉の境界ゾーンにあると、マルセルはいう。
身体性は、存在〔あること〕と所有〔もつこと〕の境界ゾーンである。あらゆる 所有は、何らかのかたちで、わたしの身体と関連づけて定義される。この場合にわた しの身体とは、絶対的な所有であることそのことによって、いかなる意味でも所有で はありえなくなるものである。所有とは、何ものかが自分の意のままになるというこ と、何ものかに力を及ぼしうるということである。このように何ものかを意のままに できるということ、あるいはここで行使される力には、明らかに、つねに有機体が干 渉している。ここでいう有機体とは、まさにそのような干渉によって、「わたしはそ れを意のままにできる」と言えなくさせるようなものである。そして、わたしが事物 を意のままにすることを可能にしてくれるその当のものが、現実にはわたしの意のま まにならないという点、まさにこの点に、おそらく、不随性〔意のままにならない〕 ということの形而上学的な神秘が見てとれるのであろう *15。
「わたしが事物を意のままにすることを可能にしてくれるその当のものが、現実にはわたしの意のままにならない」ということ、ここに〈もつ〉ということの根源的に両義的な地平が映しだされているとマルセルはいう。かれによれば、何かが所有物であるということは、それを処理・管理する権限をわたしがみずからのうちにもっていると考えることだ。そして、 disponibilité (随意性、あるいは自由処分権)、つまりわたしが何かを意のままにできるか否かということを「わたしの身体」の存在へと関連づけて考察するとき、わたしたちは右のように、通常の所有が最終的に依拠している身体の絶対的な所有――もはや所有という言葉では十分に表せないような所有の関係――に突き当たることになる。このとき、わたしは身体を「もつ」のか、それともわたしは身体で「ある」と考えたほうがいいのか。
9
1でも見たように、ひとが所有することのできるもの、それはそのひとにとって、なんらかの意味で〈外〉にあるものである。その〈外〉にあるものとの〈もつ〉という関係はしかし、マルセルによれば二つに区別される。「占有としての所有」(l'avoir-possession)と「包含としての所有」(l'avoir-implication)とである。「占有としての所有」とは、だれかある主体が何かを自由に処理可能な(disponible)ものとしてわがものとすることであるが、その場合にわたしが所有するものはあくまでわたしの外部にあって、わたしの存在そのものにとっては偶然的である。それに対して、「包含としての所有」は所有されるものがたえずわたしに巻きつき、わたしを侵食し、そうしてわたし自身に所有という水準そのものを超え出させてしま うような、〈もつ〉の逆説的とも言えるようなありかたのことである 。そのことを確認したうえで、マルセルはつぎのようにのべる*16。
極限にまでゆくと、わたしは、このように自らの身体に愛着することによってわた し自身を滅ぼしてしまう。わたしはわたしが密着するこの身体のなかに吸い込まれて しまう。……おもうに極限では、もつことそのことが、はじめは所有=占有されてい ただけの事物のなかでおのれを破棄しようとするのだが、その事物がこんどは最初そ れを意のままにできるとおもっていた所有者自身を呑み込んでしまうのである 。
ここでは所有関係の反転とでも呼ぶべき事態が発生している。もっともこうした反転も、「占有」に定位した反転と「包含」に定位した反転とではおのずから水準を異にするのであって、「占有としての所有」においては、所有物に所有されるという、イニシアティヴの逆転、いわゆる「疎外」(aliénation、すなわち自己固有性=所有権の譲渡)というかたちでの逆転が発生する――工場労働者にとってかれの身体は機械のための機械ともなりうる――のに対し、後者、つまり「包含としての所有」においては、〈わたし〉は積極的な意味において自律性を失い、「存在のなかに、いいかえると自己の手前(あるいは自己を超えたところ)、つまりおよそありとあらゆる〈もつ〉を超えでた地帯に、根を下ろした」真の意味での� ��自由」へと向けて自己を超えてゆくのである――名ピアニストにとっては、所有物としてのピアノはやがて表現としてのかれの存在そのものとなる―― *17。
前者のような所有関係の反転は、支配関係の反転といいかえてもいいだろう。所有するものは、その意志を物件のなかに反映するちょうどそれとおなじだけ、所有物そのものの構造によって規定される、そのかぎりで所有物に所有しかえされ、必然性の下に置かれると、ヘーゲルも指摘している(『法の哲学』第九〇節)。貨幣の自由な所有が、守銭奴として貨幣に(あるいは貨幣への欲望そのものに)縛られることへと容易に反転するのはさしてめずらしい光景ではない。あるいは、特定の異性をわがものとしようとすればするほど、その異性のふるまいや言葉、表情の一つ一つの微細な変化に振りまわされることになるのも、多くのひとが経験していることだ。嫉妬はおそらくその典型である。ちなみに、ディスポニビリテ(随意性� ��自由処分権)としての所有態こそがもっとも不自由な状態を意味するというアイロニカルな事態を、マルセルは苦々しい筆触でつぎのように書きつけている*18。――「絶対的な随意性としての愛。貧しさとの結びつきが、わたしにはこれほどはっきり見えたことはない。所有することは、ほとんど必然的に所有されることだ 」(67)、と。
ひとはじぶんでないものを所有しようとして、逆にそれに所有されてしまう。より深く所有しようとして、逆にそれにより深く侵蝕される。そこで人びとは、所有物によって逆規定されることを拒絶しようとして、もはやイニシアティヴの反転が起こらないような所有関係、つまりは「絶対的な所有」を夢みる。あるいは逆に、反転を必然的にともなう所有への憎しみに駆られて、あるいは所有への絶望のなかで、所有関係から全面的に下りること、つまりは「絶対的な非所有」を夢みる。専制君主のすさまじい濫費から、アッシジのフランチェスコや世捨て人まで、歴史をたどってもそのような夢が何度も何度も回帰してくる。ひとは自由への夢を所有による自由へと振り替え、そうすることで逆にじぶんをもっとも不自由にしてしま� ��のである。
この根底にあるのは、ひとは自己の存在を意のままにしうる者である、じぶんを自由にデザインしうる者である、という思考法である。いうまでもなく、それが現在では、ファッション産業から健康産業、ボディ・スカルプチャー(まるで彫塑のように、からだに肉をつけたり削ぎとったりして体型を整える方法)からメンタル・トレーニングまで、セルフ・イメージの演出として、巨大マーケットの一角を確実に占めるようになっている。いや、それどころか、物をではなく、商品への欲望そのものを生産してゆく現代消費社会における産業の核になってきている。美しいわたし、清潔なからだ、健康なからだ、フィットネス感覚……。もしボディが理念としては自由にデザイン可能であるとすれば、そこから(わたしたちが4でのべ� ��ような)ボディは自由に製作可能であるとする思想まで、あと一歩である。事実、米国ではすでに単細胞有機体のみならずある種の多細胞生体もすでに、裁判所では、特許や著作権が適用可能なものとみなされるようになっている。人工受精や代理妊娠、凍結胚などはさらにそれ以前から認可されている。ボディ・ケア用品の店という意味での「ボディ・ショップ」――これはもともとは「自動車の部品工場」を意味していた――は、文字どおり臓器や胎児、遺伝子や「血清生産工場」としての脳死体など、ボディの販売店の意味へとさらにずれてしまう(本来の意味で使われるようになる?)可能性が大いにあるということである。もしこうした「生命の商品化」を嘆くなら、まずはそうした行為の底にある思想をこそ検証しなければ� �らない。身体の自己所有という考え方の底にある、わたしのからだは「わたしのもの」だからわたしが自由に処分してよいという、あのディスポニビリテの思想を、である。
さて、所有関係の反転が、所有関係から存在関係への変換となって現象するような後者のケースについては、マルセルはそのもっとも極限のかたちを殉教という行為のうちに見いだしている。かれは、〈意のままにならないこと〉と〈もつ〉との結びつきにふれて、つぎのように書いている。
もし意のままにならないことがあるとすれば、〈もつ〉こそその指標となるもので である。死者とはなにももつことのない者である。さて、もはやなにももっていない ということは、もはやなにものでもないということだと、ひとは考えたがるものだし 、実のところ、ごくふつうの生活の傾向として、じぶん自身をじぶんがもっているも のと同一視しがちである。存在論的なカテゴリーが消えてゆくのもそのためである。 しかしここに犠牲という現実があって、それがわれわれに、存在が所有を超えたもの としてありうることを、いわば事実として証明してくれるのだ。この点にこそ、証言 としての殉教のもっとも深い意味がある。殉教は証言であるのだ*19。
じぶんという存在をみずからの意志で消去する、そういう身体の自己所有権(=自由処分権)の行使は、その極限で、存在へと反転する。そういう所有のパラドックスが、ここでもっとも法外なかたちであらわれる。この論述のなかで注目したいのは、所有することを〈意のままにできること〉とではなく、〈意のままにできないこと〉と結びつける考えかたが提示されていることである。所有主体が所有対象のうちに拉致されて被所有態にある、つまり、じぶんの存在が意のままにならないという意味での所有権の放棄ではなくて、所有関係を超えるという意味での所有権の否定が、ここで問題になっている。これは、わたしの身体はわたしのものかという、わたしたちが冒頭に立てた問題に直結する問題である。
10
あるものを〈もつ〉ことと、それを意のままにしうることとのあいだには、深い淵がある。そして「わたしの身体」と言うときの、そのわたしと身体とのあいだになりたつ〈もつ〉という関係は、最終的に所有という関係を超えでて、一つの存在へと転化する。そのとき〈わたし〉は身体である。そのとき、わたしは身体であるが、それを所有するのではない。そのかぎりで、わたしはわたし自身のものではないと言わなければならない。そしてこれは、マルセルに言わせれば、まさに「わたしは絶対に自律していない」ということなのである。
わたしはわたしの財産や資産のみならず、およそ資産のうちに、あるいはもっと一 般的にいってわたしの持ち物のうちに数え入れることのできるものはみな、管理でき るし、また管理可能なものとしてあつかうことができる。が、反対に、〈もつ〉のカ テゴリーがここに適用できなくなるかぎりで、他人による管理であれわたし自身によ るそれであれ、管理について語ることは、およそいかなる意味においても不可能とな るだろう。したがってまた自律について語ることも不可能となるだろう。存在のなか にいるかぎり、われわれは自律の彼方にいるのである*20。
マルセルはここで、事物の所有の根底に身体の所有という事態を見すえながらも、根拠としてのその身体の所有が「わたしのもの」というかたちでの《自己所有》としては不可能であることを示している。すでに確認したように、所有関係をめぐっては、「わたしが事物を意のままにすることを可能にしてくれるその当のものが、現実にはわたしの意のままにならない」という逆説的な事実から出発しなければならないのであった。さらにいいかえると、身体は、最終的には、所有〔権〕(property)という理念そのものが失効するような次元でこそ問われねばならないのであった。
ところでマルセルは、わたしたちがくりかえし参照してきた『存在と所有』という著作のなかで、ちょっと謎めいた注記を書きつけている*21。「内と外との区別は、自と他との区別が入りこんでくるところでのみ可能となる、ものの見方の諸効果を含んでいる」というのである。生体システムとしての身体の内と外との区別が成立していることが「生きている」ことの指標であって、この区別がなりたたなくなったとき、身体はモノと同列にならぶ。つまりそのように身体が(物体の宇宙という意味での)自然のなかへと分解してしまったときが、死である。そういう意味で、自他の区別(他なるものの認識)が内/外の区別の根拠になっていると言うことができる。それはまた、身体が無人称的なボディとしてではなく「わたしのから� ��」として生きられてはじめて、あるいは限定されてはじめて、わたしの内ということがなりたつという意味だとも考えられる。
ともあれ、そういう身体の人称的な特権性がふたたび非人称の空間へと転位させられたときに、(7でみた)「死者」のいない「屍体」の世界が〈死〉を被うことになる。一般に医師による治療が可能となるということは、服を脱がせること、あるいは服の内側に手を差し入れることを許すという、患者のがわの意識の受容を前提とする。これは、内/外、自/他をめぐる観念の問題であり、身体の意識のしかたが変わるということなのである。いいかえれば、身体をある抽象的な空間(たとえば手術というかたちで身体を切り裂くことを傷害罪と考えない、法の空間)に拉致することなのである。近代医学・医療のまなざしと「死者」の消失(=「屍体」の普遍化)とはおなじ一つの構造から派生してきたものなのである。先に、債務� ��責務という関係が自己の身体をめぐって成立しなくなった時点で――いいかえると、ひとがその存在を他者に負うという考えかたがなりたつ場所がなくなった時点で――、「からだ」は「ボディ」になり、「死者」は「屍体」となると記したが、その問題がここの文脈でもう一度浮上してくるのである。
11
死者は他者(der Andere)である。屍体は他なる物(das Andere)である。他者とのあいだで、わたしたちは応答関係にある。他者とはわたしがそれに向かって語る者であり、またわたしに向かって語りかけてくる者である。西欧の言語において、「責任」(responsibility, Verantwortlichkeit)ということばが「応える」(response, antworten)という動詞に由来するというのは、興味深い事実である。他者への責任がそこでは、他者に応える義務として受けとめられているのである。
ここでわたしたちは、これまでの議論がなにかとんでもなく固いある前提の下に拘束されていたのではないかという疑念にぶちあたる。わたしたちは伝統的な所有権の概念規定や、あるいはマルセルらの所有論によりかかるかたちで、「もつ」と「ある」とを、あるいは所有と存在とを、対置させつつ議論を進めてきた。しかしそういう議論も未だ、「意のままにできる」という、わたしたちが乗り越えようとした「所有」の概念規定に囚われていたのではないだろうか。支配関係や管理可能性の有無を「所有」と「存在」の区分けのメルクマールとする議論の構造それじたいがそうであった。そしてそういう二項対立を乗り越えて、所有こそある不随意的な事態のしるしであると、あるいは所有はその極限で存在に反転すると、考えよ� ��としたことじたいがそうであった。
しかしここでより決定的なメルクマールは、応えるという契機の有無ではないだろうか。すでになかば無意識で書いていたことなのだが、「者」と「物」の区別にすでにいくばくかそれをうかがうことができる。わたしたちは「存在」をあらわす動詞として「ある」をまず考える。たとえば英語の be 動詞との対応づけからそう考えるのかもしれない。しかし「存在」について、わたしたちは「ある」と「いる」を混同することはない。
たとえばハイデガーが「存在」という語の分析をしている箇所であげている例を引いてみよう *22。「神がある」「大地がある」、「教室で講演がある」、「この人はシュヴァーベンの出身である」、「この杯は銀製である」、「百姓は畑にいる」、「この本はわたしのものである」、「彼は死んでいる」、「赤は左舷である」、「ロシアに飢饉がある」、「敵は退却中である」、「葡萄畑に葡萄瘤虫がいる」、「犬が庭にいる」、「山々の頂に静けさがある」……。ここで「ある」はすべて ist で表現されている。しかし日本語ではそうはならない。右の訳文にすでにしめされているとおりである。つまり他のひとや生き物の存在については、「ある」ではなく「いる」と表現されている。「ある」と「いる」、これをわたしたちは混同することはない。
「いる」と言うときには、すでに命あるものへの敬意が、あるいはそれへの安否の問いかけ(問安)がそこにふくまれているのではないか。ここでは、安否を問われているものは、問われている物ではなくて、問われている者である。いいかえると、問う者と問われる者のあいだに(安否という)問われていることがらがあるのではなくて、「どうしたの? だいじょうぶ?」と問われる者とそこで問われていることがらとは一体になっている。
このことが意味するところについて考える前に、さきほどのハイデガーの言葉づかいに関連して、和辻哲郎が分析している「ある」に対応する漢語の用法を、かんたんに参照しておきたい。「がある」にあたる漢語は「有」である。漢語では、「有」は be のような繋辞としての「である」の意味をもたない。そして、いうまでもなくこの「有」は所有の意味でもある。有為、有志、有罪、有利、有徳など、「有」の下にくるのは「有るもの」であるとともにひとが「持つもの」でもある。金を持つことは金が有ることにひとしい。おなじように、存在の「存」は、「存じております」という言いかたにあるように、「あることを心に保持する」という意味で用いられる。いいかえればそれは、なにかを「自覚的に有つ」ことをいい、「所存」はその「自覚的に有つ」作用の対象となるものである。存命、生存といった表現にもあるように、「存」の本来の用法はしたがって、和辻によれば、「を存する」であって「が存する」ではない。人間が自覚的に保持するがゆえに客体的なものが存在す� ��ようなありかた、つまりは「もつ」ことによって「ある」ような事態がここに表現されているのである。それから在宅、在世、在宿、在郷、というふうに、「在」とは、ひとが「宅(うち)にいる」とか「この世に生きている」というふうにいわば主体的に「ある場所にある」ことを意味するから、「物の存在をいうのは存在の概念の擬人的転用に過ぎぬ」わけで、だからたとえば「今日は金がある」と言いかたはしても、「今日は金が存在する」と言わないのである*23 。
日本語の用法からすれば、「ある」と「もつ」という二つの契機は深く相互に浸透しあうような関係にあるのに対して、むしり「ある」と「いる」の二契機がより厳格に区別される。先にすこしふれた安否の問い、そこでは問われている者と問われていることがらが同一であるだけでなく、問いそのものが問われる者への問いかけというかたちでの関与そのものを意味するのである。この点について、和辻はつぎのようにのべている*24。
問安あるいは問訊は問われる者の存在が今いかなる有りさまにおいて保持せられて いるかを(すなわち問われる者の気持ち・気分を)問うのであるが、それは同時に問 う者の関心の表現であり、従って問われている気持ちが問う者と問われる者との間柄 に存することを示している。だから問安は「挨拶」の意味となり、単にただ間柄をの み表現するものとして、問われていることを従とすることもできる。訪問という意味 において人を問う場合もそうである 。
人称的に中立的なもの、つまりは「だれ」でもない非人称的な問いではなくて、わたしが特定の「だれ」としてある特定の他者に問いかけることとしてのこの問安――、それはだれかが「いる」という事実を、「ある」の問題として、存在論的に、そして中立的に*25問うことの問題性を、わたしたちに突きつける。だれかが「いる」という感覚、「ある」ではなくて「いる」というこの感覚は、すでにそのうちに、その者への問安を内蔵している。「いる」という表現が「ある」の問題圏に収容できないような関係を含んでいるかぎりで、ひと(他人)の安否を問う、ひとを気にかける、ひとのことを思い煩う――あるひとの苦痛をわずかでも分かちもとうという思いが、たとえば冬の戸外での冷水浴びという行にひとを駆りた てたのとおなじように、英語の sympathy ということばは、もとはといえば「パトス(苦しみ)を分かちもつ」という意味である――、そしてひとを支えるといったことが、「真である」ということにけっして劣らぬ「まこと」あるいは「正しさ」の規準になっていることを忘れてはならない。まちがっているということは、かならずしも偽であるということではないし、正しくないということは、かならずしも不正とおなじではない。そして「在」。ある場所を占めているというのは、ある空間的な位置を占めていることである以上に、他者にとって意味のある場所にいるということであろう。
12
ここで最後にもう一度、思いだしたい問題がある。6でふれたカニバリズムの問題だ。わたしたちは「生物学的同化に適した、生命のないもの」だけを食す。そのときそれを、じぶんが意のままに支配できるものとして、つまりは軽蔑すべきものとみなしつつ食すか、あるいはおのれの治療として食すか、それとも、ともに与かるために――「肖(あやか)る」ということばもある――深い敬意とともに食すかは、けっしておなじではない。いいかえると、ひとの臓器、この他者の身体部位が「いる」――マルセル流の言いかたをすれば、そのとき身体は他のひとである――というレヴェルでとらえられているか、あるいは「ある」――そのとき身体はそのひとの所有物である――というレヴェルでとらえられているかによって 、まさに「軽蔑すべきもの」であるがゆえに食われるのか、「敬意のしるし」として食われるのかに、分かれるくるのだ。「いただきます」、「ごちそうさまでした」ということばとともに手を合わせる、あの食事の席での慣習がもつ意味をよくよく考える必要がある。多くの文化がこうした慣習をもつが、何に向かって手を合わせているのかは微妙に異なる。
「いる」という意識、これは「いのち」と「いのちなきもの」との差異に対するわたしたちの最初の感受性である。和辻哲郎は、「有」や「存」という語の解釈をつうじて、何かを自覚的に保持すること――最終的には、人間がおのれ自身を有つこと、そのことを問う有論(存在論ではない)が必要となる――が保持されるものの存在をかたちづくるとしたが、わたしはここで、「いる」という意識のかたちをとったこの「いのち」への応答こそが、世界との関係をはじめて劈(ひら)くのだと考えたい。ここで関係ということばは、重く受けとめたい。関係とはここで、たんに和辻のいうような「交渉」関係に入ることではなく、それにおのれの「いのち」が賭けられているような関係をさす。他者(=いのちある他の存在)の「いの� ��」を奪うことでおのれの「いのち」を永らえることもあれば、他者のことばによって、あるいは他者の介護によってかろうじておのれの「いのち」を支えられるばあいもある。そういう生と死の交換、つまりは「いのち」の与えあいのなかにこそじぶんの存在もあることを、この「いる」ということばがわたしたちに教えつづけている 。
そしておそらく、非人称的なものとしての「物」(無機物)へのかかわりも、そのようにして劈かれた関係が第三者的なものへ向けて逸れていくようなかたちで出現するのだろう。「いのち」ある他の存在を感受するというのは、まさに受け取るという、あるいは迎えるという、受動的な経験である。発達心理学者の浜田寿美男と山口俊郎は、この受動的な経験がわたしたちの存在のエレメントとでもいうべき根源的な役割をはたしていると指摘している。わたしたちにはだれか(たとえば母親)によって見られているということを意識することによって、そしてときどきそのひとのほうを振りかえることによってはじめてじぶんの行動をなしうるということがあるし、また、他者との〈見る−見られる〉という関係のなかで、相手の眼� ��別のものに逸れ、別のものを志向していることに気づかされることによってはじめて、相手の志向性を分化させていくというかたちで客観的な事物との関係が可能になる、というのである*26。
飢えて死にかけている息子に「おい、俺を食え」と呼びかける父親、だれかの死に際して死路の道連れになれたらと願い自害するひと、あるいはおのれを献身という行為のなかに置く殉教者。これらは、生物体としての生死――ここでひとは「いのち」が「ある」かないかを問題にする――よりももっとのっぴきならない意味をもった生があり死があることを証ししている。これらはたしかに極限的な事例である。が、このような極限的な事例が存在することにつねに想像力を向けていることは意味がある。いうまでもなく、献身にしろ犠牲にしろ、それが他者の意のままになることでしかないのであれば、それは所有という支配・被支配の関係の逆転でしかない。だから、問題なのは「だれ」である。だれの前でのわたしの「いのち」� ��、それがつねに問題となる。その「だれか」との関係が世界を劈くからである。その関係が世界を支えるからである。「いる」と「ある」の差異はおそらく、世界の存在のそのような位相にわたしたちのまなざしを繋いでおく。かろうじて。
〈注〉
(1) M. Foucault, Naissance de la clinique, P.U.F., 1963. 神谷美恵子訳『臨床医学の誕生』、みすず書房、一九六九年、二〇二頁。
(2) 同書、二六六頁。
(3) 内田隆三『消費社会と権力』、岩波書店、一九八七年、二六三頁。
(4) M. Vacquin, Frankenstein ou les délires de la raisons, Editions François Bourin, 1989. 辻由美『メアリ・シェリーとフランケンシュタイン』、パピルス、一九九一年。
(5) B. Pascal, Pensées. 前田陽一訳『パンセ』、ブンランシュヴィック版、断章九三。
(6) J. Baudrillard, L' échange symbolique et la mort, Gallimard, 1975. 今村仁司・塚原史訳『象徴交換と死』、筑摩書房、一九八二年、二九〇頁。
(7) J. Attali, L'ordre cannibale, Editions Grasset & Fasquelle, 1979. 金塚貞文訳『カニバリスムの秩序』、みすず書房、一九八四年、四頁。
(8) 同書、七頁。
(9) 小林康夫「ブリコラージュ的自由」(『現代思想』一九九四年四月号)、二五四頁。
(10) 川本隆史「自己所有権とエンタイトルメント」(日本法哲学会編『法哲学年報』一九九一年)、八二頁
(11) J・ボードリヤール、前掲書、二七七頁。
(12) 内田隆三、前掲書、二八三頁。
(13) 同書、二八六頁
(14) 川端康成「片腕」(『眠れる美女』新潮文庫所収、一二九頁。
(15) Gabriel Marcel, Etre et avoir, Fernand Aubier 1935. p.119-120.
(16) ibid., p.239-240.
(17) cf. ibid., p.253.
(18) ibid., p.99.
(19) ibid., p.122-123.
(20) ibid., p.192.
(21) ibid., p.216.
(22) M.Heidegger, Einführung in die Metaphysik, Max Niemeyer, 1953. 川原栄峰訳『形而上学入門』、平凡社、一九九四年、一五〇頁。
(23) 和辻哲郎『人間の学としての倫理学』、岩波書店、一九三四年、第一章四参照。「有」にみられるこうした「存在」と「所有」の相互浸透は、フランス語の「在る」であるil y aという表現のなかにもみられる。またドイツ語では、es gibt にみられるように、「在る」(存在)が「与える」(贈与)によって表現されているというのは、すでに諸家が試みているように、さらに解釈を要する事実である。
(24) 同書、一八三頁。
(25) 「ある」への「中立的」な態度についての批判的論究としては、E.Levinas, Totalité et infini, Kluwer Academic Publishers, 1961 [合田正人訳『全体性と無限』、国文社、一九八九年]の結論部7「〈中立的なもの〉の哲学に抗して」を参照されたい。
(26) 浜田寿美男『子どもの生活世界の始まり』、ミネルヴァ書房、一九八四年、二九四頁参照。
(講座《生命》Vol.1、哲学書房 1996)
BACK
0 コメント:
コメントを投稿